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読書13 日本人の感性は世界一だと思えいませんか!? この本を読めば日本人に誇りが持てます 谷崎潤一郎  陰翳礼讃 

 

 

 

意見は完全に私見ですので、あくまで参考までにお願いします

S 4.5 ~ 5.0 [読むと思考が変わる]

A 4.0 ~ 4.5 [持っていて損はない]

B 3.5 ~ 4.0 [時間があるときに読みたい]

C 3.0 ~ 3.5 [読まなくても良い]

 

Instagram: @book_itachi

 

タイトル:陰翳礼讃

 

 

評価:星4.1(A)

こんな人に読んでほしい:正直を言えば日本人全員が読んでも良いのではないかと思う。そう思わせてくれたのは日本人でありながら西洋化した生活に慣れ、日本固有の良さに中々気づけないのがまさに今の日常である体。読んだ後は、日本人であることが誇らしくなるし、日常の何気ないものが違って見えるはず。

 

 

 

選書理由:日本人にはわびさびといった固有の美学があるが、本書は日本の美学の根底にある暗がりや翳りといった光に対する感覚に焦点を当てていて面白いと思った。

 

構成:世界の文豪の谷崎潤一郎による日本人の暮らしの美学について様々な事例をあげ説明されている。日本人がなぜ薄暗い所が好きなのかそれを写真家大川裕弘の写真とともに本書は進む。

 

感想:近年純日本風の家屋を建てようとすると電気、瓦所や水道管の取り付けは非常に大変であり、日本古来のものは失われつつあると言える。このように他国の文化を享受し我々は生活をしている。例えば、万年筆と毛筆にあるように、もし日本人が万年筆を作ったならば毛先は毛筆でインクは青でなく墨汁に近く、紙は和紙に近く漢字に対する愛着はより深かったはずである。また、食器であっても西洋はよりピカピカしたものを、日本人はより沈んだ重々しいものを好む。紙については、西洋紙は光線を跳ね返すのに対し、唐紙や和紙の肌理は柔らかく初雪のようなふっくらとした光線である。パリから帰国した人は日本の夜は明るすぎるとよく言う。アインシュタインは来日した際に電信柱か何かに白昼電燈があるのを見て大層不経済な物があるといった。このように光に対する感受性は多岐にわたり影響を及ぼしていて、戦後のアメリカによる影響も否めない。以下、衣食住で区切って見ていきたい。

 

まずは衣について、僧侶の金襴の袈裟は古来の微弱な光を捕らえるために使われたのではないかと考えられる。銀やその他の金属では光沢が褪せてしまう。やはりこの金こそが、皮膚の色の内側からぽうっと明かりが射しているような光沢を演出している。近年で言えば、歌舞伎劇の光を滅ぼすのは、無用に過剰な照明である。

 

次に食、漆器の色は黒、茶、赤であり幾重もの闇が堆積した色である。闇の中の椀は、何があるか判別できない中で、汁が動揺するのを感じることができるように西洋流の皿とは違い、神秘であり禅味である。料理の色はやはり皿の色による影響もあり、豆腐や白身といった白い肌のものは黒塗りの器で美しくなる。我々の料理は常に陰翳を基調として、切り離せないものである。漱石は草枕にて、羊羹のあの色は瞑想的で玉のように半透明に曇った肌が奥の方まで日の光を吸い取って夢見るごときほの明るさ、あの色合いの深さや複雑さはクリームには出せないと評しているほど日本人の美的センスは食にも現れている。

 

最後の住について、日本では瓦葺のように屋根という傘を広げて天地に一廊の日陰を落としその薄暗い陰翳の中に家造りをする。縁側とつけて太陽光が入らないようにし、庭からの反射がほのかに障子を通して忍び込むようにする。我々の座敷の美はこの間接の鈍い光線にほかならない。この力のないわびしい儚いい光線がしんみりと落ち着いて座敷の壁へ染み込むようわざと調子の弱い色の砂壁を塗る。西洋人の言う東洋の神秘とは、核の如き暗がりが持つ不気味な静けさであり、全く光の届かない奥に金襖や金屏風があるが、これは幾間を隔てたに遠い遠い庭の光を捕らえるためである。これは夕暮れの地平線のようにあたりの闇へ実に弱々しい金色の明かりを投げ打つ光を補うレフレクターの役割もあっただろう。

 

 

今回の本

 

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