var vc_pid = "887816750";

読書30 限界費用ゼロ社会 ジェレミーリフキン

読書30:限界費用ゼロ社会 ジェレミーリフキン

Amazonのリンクです
(個人的思い:読書史上この上ない満足感です。私は2度読みました。なんで最近Youtubeやfacebook、wikipediaなど無料のサービスが増えてきたのかも納得できます。Amazonの評価もとても高い、英語版の方が凄い高いです。)


選書理由:エネルギー関連の本を読んでいるとよく参考文献として引用されているため

 

構成: 技術の発展により限界費用がゼロへ向かう中、今後の社会がどのように進んでいくのかということが詳細に書かれている。ここでは、大きく6段落に分けてまとめていく。

 

まとめメモ:

 

(1)市場資本主義から協働型コモンズへの大パラダイムシフト

19世紀初期に資本主義は誕生し、今ではあらゆるものが市場という経済の舞台で取引され、需給のバランスにより価格が決まり取引される。アダムスミスは市場こそ需給による完全なものとして、これをもとに経済やイノベーションが生じる永久機関のように捉えていた。しかしながら、もし限界費用がゼロ(=つまり製品のコストがゼロ)になったとしてもこれらは成立するであろうか。こうした協働型コモンズへのパラダイムシフトを見据えGE、シスコ、IBMといった企業は開かれた分散型、協働型のネットワークを作成し、いつ誰がどこにいてもアクセスしビックデータを利用できるような準備を進めている。詳細は後に回すが、こうしたインフラを構築することで地球の少ない資源を競争ではなく協働し最大限利用すると想定しすでに世の中は動き出している。

 

 

(2)資本主義の歴史

世界の大きな流れとして、封建的経済→市場経済→資本主義→協働型コモンズ?という歴史をたどってきた。まず封建的経済について、財産所有の概念は今とは対照的で、この世の全ては神の創造物であり上は天の王座から下は共有農地で働く農民の階層まで分けられ一連の委託物とされていた。ルターは一人で神の前へ立つのだと主張し、世界史上初の識字能力普及活動をし、ジョンカルバンは選ばれしものである可能性の印として自らの運命を向上させるために絶え間なく努めるよう求めた。後に天職に励むということと、経済的豊かさの追求の区別ができなくなってくる。こうした封建時代は羊毛の拡大や私有財産制への発展により市場経済へと移行していくこととなる。

次に封建経済から市場経済へ、神権的政治世界から経済的世界へと移行した時期について。哲学者ジョンロックは私有財産を擁護し、人が自然の原材料に自らの労働を加え価値あるものに変えることで自らの財産を生み出すとした。そしてアダムスミスも、自らの利益を追求することで自然に社会に最も大きな利益をもたらす道を本人が選択しているとした。封建時代のこの世の全ては神の創造物という考え方からより現代の考え方に近くなって来ていることがわかる。

最後に市場経済から資本主義への流れについて。16世紀初期には小規模製造業者の新世代が労働者たちを1つ屋根の下に集め規模の経済の恩恵にあやかっていた。大事なことが、労働者が用いる機械までも所有していて、資本に対する生産の従属と資本家と生産者の間における階級関係が出来上がったことだ。1850年ごろになると規模の大きい鉄道などの交通インフラを作るために近代的な株式会社という新しいビジネスモデルができた。これらは所有権と経営管理を分離し、莫大な資本コストを要するゆえに垂直統合を軸として組織され、事業の合理化が進められた。社会人の方であれば実感しているものに近いと思われる。この資本主義では、規模や資本を集め市場での競争に勝ってきた。製造業を例にとれば、製品を市場に出し利益を上げる。その利益で得た資金によりさらに低コストにするよう技術を発展させるなどして市場での優位性を保とうとする。このサイクルを繰り返し、市場と人々の生活を発展してきた。

最後に本書の趣旨である協働型コモンズについて。インターネットによるコミュニケーションコスト低下、再生エネルギーによりエネルギーコスト低下、3Dプリンタによる人的コスト低下といった技術的発展により限界費用がゼロ(ものを作るコストゼロ)になった場合資本主義の次の形態に移行し協働型コモンズとなるのではと筆者は考えている。

 

 

(3)限界費用ゼロにより新しい協働型コモンズの時代へ

限界費用がゼロになる資本主義の最適点は新しい通信、エネルギー体制とそれに付随する生産・流通モデルである分散型のピアトゥピアを導入されることで実現する。これにより人々が 生産者であり消費者であるプロシューマーとなると考えられている。ガンディーは資本主義の大量生産に懸念を示し、代替案としてスクデシという自宅や近隣での地元生産を考えていた。仕事の元へ人々を連れて行くのではなく、人々の元へ仕事を連れて行くのであるがこれもプロシューマーの考え方に近い。

また売り手と買い手に変わってプロシューマーが登場することで、所有権はオープンソースのシェアに移り、所有はアクセスほど大事ではなく、市場はネットワークに取って代わられ、情報を作成したりエネルギーを生産したり商品を製造したりする限界費用はほぼゼロとなる。プロシューマーが限界費用ほぼゼロの社会を実現させる新しいインフラの可能性を最大限に引き出す資金調達モデルや統治モデルを見つけられるかどうかが鍵となる。経済学者ホテリングとユースの限界費用論争が思い出されるが、ネットワーク化されたコモンズこそがIoT全体に行き渡る統治モデルとなる。インターネットのように誰もがであり、誰でもないそういったインフラが今後構築されると考えられる。

 

 

(4)協働型コモンズの統治モデル

キャレットハーディンはコモンズの悲劇としてフリーライダーのジレンマを説き、一方でキャロル・ローズはコモンズの喜劇として反論し、財産自体は不特定かつ数に制限のない人々に使用される時に最大の価値を持つので、公共の権利が個人所有者の権利に優先されてはならなかった。それでもコモンズにおけるフリーライダーの懸念は素人である私もイメージできることであるが、エリノア・オストロムは実地調査からコモンズをうまく機能させる7つの設計原理を導いたがこのようなことから枠組みを作成することは今後の発展として重要になってくると考えられる。フリシュマンは基幹的な共有のインフラの最初の課題は真に基礎的な資源を特定することであり、そしてインフラの資源の肝心な部分をなぜ無差別に利用可能にすべきなのかを説明することであると述べている。

協働型コモンズのインフラ促進の一例として、地元の農村電力協働組合による田園地帯の電化をすすめる活動があった。これはまず政府が低金利でお金を組合に貸し、組合はそのお金を用いて協力しながらで送電網の構築など行い電化を進める。電化が進んだ結果、農業の作業効率が上がり潤い、政府への返金も素早く行えた。総じて、時間もコストも少なくインフラの構築ができ、利益を出す構造でない協同組合は電力をほぼ原価で提供している。協同組合は競争ではなく協力を、狭量的な経済的私利ではなく広量な社会的責任を原動力としている。非営利事業体として活動することにより、剤やサービスを低い限界費用で組合員に届けることができる。

 

 

(5)人間の幸福基準の変化

心理学者のティム・カッサーは富と財産の追求を非常に重要視する人が報告する精神的充足度はそうした目的きに固執しない人と比べ低い。物質主義的な価値観が生活の中心になるにつれて生活の質は低下すると述べている。物質主義がこれほどの害をなすのは、私たち人類を駆り立てる一次的動機である共感という本質を奪うからである。広告は財産こそ人間を測る物差しであるという見方を巧みに利用し世の中で各自のアイデンティティを確立するために必須のものとして製品やサービスを売りつける。しかし、今のミレニアル世代では他者への心配りが増して財への興味が薄くなる傾向にあり、協働消費や共有型経済への傾倒を実感できる。分かち合いは人間の性質の持つ最良の面を反映している。中毒のような消費を減らし、倹約に勤しみ持続可能性の高い生活要素を促進することは私たちが今後生きるために必要不可欠である。

 

 

(6)今後の日本

日本を引き留めているのはやはり一握りの垂直統合型の巨大な電力公益企業で、これらの企業は日本では途方もない影響力を持ち、原子力発電所を断念することを頑なに望まない。逆を言えば、ここを打破した時に真の日本の姿に期待はできる、伸びしろとして私は捉えたい。

 

 


Amazon.co.jpアソシエイトのプログラムを利用して、ご協力いただいた収益は実験的なカスタムに使われます

 

コメント

タイトルとURLをコピーしました